2009-03-16
■ ぼくが得た大切なもの
とにかく,溢れてくる感情は,嬉しさと感謝だ.こう文字にすると安っぽく感じるかもしれないけど,こういった強い念が,文字通り溢れてきた.このような感謝の思いを持つことができるようになったのも財団のおかげである.なんて,ぼくは幸せなんだと思う.同時に,自分も何か誰かにお返ししたいな,とも思った.前の研修会でティム氏がおっしゃっていたように,自分にできることをすればよいのだ.具体的には,まだ何かは分からないけど,この喜びを昇華して,他の人を幸せにできたらなと思う.
最近,僭越ながらも,ようやく財団の理念が分かってきた気がする.財団の理念はこうだ.
教育とは,自ら学ぶこと. 自己啓発の積み重ねがもたらす実りをいいます. 助け合う気持ちを大切にし, つねに感謝を心に刻もう. 順境におごらず,逆境にひるまず, 謙虚にしてかっ達な人づくりをめざします.
大学入学当初は,正直,「うんうん,良い事だな,そうだな」程度にしか捉えていなかった.頭での理解から,心での理解って言うのかな.今は,この言葉が身に染み入るように分かる.
この真髄は,言語化できないと思う.いや,言語化は上の理念のようにできるんだけど,その心を分かるには,言語からの理解では不十分だと思う.つまり,理屈じゃなくて,心で感じないといけないということだ.
財団ではよく,「感謝」という語を用いる.これも正直,表層での理解しかできてなかった.感謝,といえばありがたく思うことなんだけど,「嬉しい,ありがとう」だけで終わるレベルじゃないんだよね,こういう文脈での感謝って語があらわすものは.心の底から湧き出る嬉しさが,それだと思う.誰かにしてもらって心底嬉しいことを,言語化したものなんだと思う.
だから,感謝ってものは自然と出てくるものだと思う.だけど,その心底嬉しい,と感じるのは,人によっては少々訓練が必要かもしれない.変な話だけど.ぼくなんかそうだ.どんなことをされても,嬉しいってだけで,済ませていたら,心底嬉しく思うってのは難しいかもしれない.要は,してもらった事に対する想像力を働かせることが必要ってこと.例えば,何かをもらったら,それをくれるのに,その人がどれだけの,時間とお金と気持ちを割いてくれたのかを考えてみるといいと思う.最初から,よく感謝できる人ってのは,これが呼吸と同じくらい無意識レベルでできる人なんだと思う.できなくても,意識的にやってみると,できるようになる,絶対.ぼくが,(ちょっとは)できるようになったんだから.
話が長くなった.第一,ぼくはそんな偉そうな話をできるような人間じゃないんだよ.でも,いま思ってることは書き留めておきたい.
感謝はすべての土台だと思う.ここで言う感謝ってのは,心の底から,喜び叫び出したくなるような喜びから出てくるもの.それは,意識をもってちょっと練習さえすれば,もう無限に出せるようになる.出てくれば出てくるほど,ひとは幸せになれる.そして,それを誰かに分ければ,もっと幸せになれる.その,分けるって行為が,愛だと思う.
完全な理解には達してないかもしれないけど,このように思えるようになったって事はありがたいことだし,幸せなことだと思う.